生きることの意味とは?|キャリアコンサルティングの現場から
2021/10/30
火・木・土曜日に勤務している、若者サポートステーションの前には、飯田市の名所である『りんご並木』があります。
この辺りが大火事に見舞われ、焼け野原になったあとに、市民を勇気づけようと1953年(昭和28年)からりんごの木が植えられ、地元の中学生が中心となって、地域の人たちと手入れをしている場所です。
通勤の行き帰りには、街中に緑が、それも実を付ける木があることで、本当に気持ちが癒やされるな、と感じています。
焼け野原にりんごの木を植えた人々は、どんな思いを抱えていたのでしょうか。
若者サポートステーションに通ってくる人たちは、私にとっては息子世代なので、いつも応援してあげたい気持ちでいっぱいになります。
みんな様々に生き辛さを抱えてはいますが、社会がもう少しだけ寛容であれば、働くことが可能だろうと思える子が多いのです。
では、自分がそのくらいの年頃の頃はどうだっただろう、と思うと、泣けるほど辛い日もあったし、上手くいかなくて冷や汗をかいたことも何度もありましたが、それでも日々の労働にそれなりの楽しさを感じていたし、一緒に働く人と成功を共有できることもありました。
彼らと自分とは、どこが違うんだろう、とよく思います。
環境的には、今の方が恵まれているはずです。
でも、彼らはさまざまな理由から、内へ内へと目を向けてしまい、自分を必要以上に卑下したり、外の人との接触を怖がったりする子も多いのです。
その理由を聞いていくと、いろんな問題が複雑に絡み合っていて、単に外に出ていろんな経験をすればいい、と言えるような状態ではありません。
彼らが自分から外へ出て行くことができるように、寄り添って話を聞き、時には背中を軽く押す、といった支援が必要なのです。
人生はもっと楽しいよ、辛いこと、悲しいことも多いけど、それ以上に楽しいことも嬉しいこともあるんだよ、と言ってあげたいのですが、それは彼らの年齢から、私の年齢に到達する途中にあるのかもしれず、必ず楽しいことがある、と請け合えるわけでもなく、本人たちが自分の足で歩いて行くのを見守るしかありません。
実は身内にガン闘病者がおり、今日はお見舞いに行ってきました。
半年前から入院中だったのですが、コロナウイルス感染症の影響で、近い身内ですら顔を見にいけない状況でした。
久しぶりに笑顔を見ることができて、ホッとしているところです。
そういう人に出会うと、本当に「生きることの意味」を考えさせられます。
自分にとって何をして生きていけたら、最後の時に満足できるだろう、と思います。
今の時点でその答えは出ていないのですが、できることを一歩ずつやり続ければ、そのうちきっと見えてくるだろう、と思うのです。