人生の節目に紡がれる時間
2025/08/17
今年は昨年に引き続いて連日真夏日が続き、80歳を超えて二人で暮らしている両親が心配になり、思い切って実家に戻って一緒に生活することにしました。
元の住まいで自分の荷物を作りながら、その家で過ごした時間を思い返していました。
長男が8カ月の時に前のアパートから引っ越し、次男がこの春に家を出るまで25年近く、子育ての期間をそこで過ごしました。
いらなくなった机や棚を処分するために移動させると、畳の色がそこだけきれいなままで、それなりの時間が経っていたことを物語っていました。
車好きな長男は、家の中をおもちゃの乗用車で乗り回していましたし、次男は専用の部屋がない代わりに、自分のスペースを何とか確保しようと頑張っていました。
そんな面影をそこここで感じながら、自分の荷物をまとめていたのですが、思ったより物が多くて驚きました。
もともと物が好きでこだわりもあるので、趣味のものから思い出のもの、お気に入りのキッチン道具まで、何人分の引っ越しですか?というほど物がありました。
それでも、時間が経過したことで、かなりのものを処分することができました。そうしながら、自分の人生の一時代が終わったことを強く感じたのです。
人生の節目とはよく言ったもので、生きている過程の中に、節目というものが何回か、必ず訪れます。
節目の間に紡がれた時間には、必ずしも満足のいくものではないこともあります。
それを踏まえて、自分より若い相談者が悩んでいると、「人生にはいろいろな時期がある」というお話をすることがあります。
今、目の前の現実に不満を抱えていたとしても、そこに何らかの理由があれば、人は超えていけるのではないでしょうか。
大事なのは、そんな不遇な時期であっても、「今はこういう理由があるから、自分はこういう状況の中にいるのだ」という理由を認識しながら、腐らず、焦らず、その期間を生き抜くことだと思います。
そして、「いずれこうなりたい」「こうありたい」という姿を描き、そちらへ何とか近づいていこうとする気持ちが大切だと思うのです。
実家は私が高校生の頃に建てた家なので、壁紙や絨毯の色も自分が選んだままになっている部屋に、また舞い戻った形です。
ここで私は多分、両親の最後を見守ることになるでしょう。そう思うと気持ちはおだやかではありませんが、その後も、私の人生は続いていきます。
母と並んでご飯を作り、テレビで野球を見ながら一喜一憂している父を微笑ましく見て、まだ両親が元気なうちに同居することができて良かった、と改めて思いました。
これは両親のためでもありますが、同時に自分のためでもあります。
何事も悔いを残さないように、と思う自分にとっての自己満足でもあるのです。
正直、決断するまでには随分悩みましたが、これもまた、私の人生の一節であると、今は思えるのです。


